Treasure
和沢ともさんに書いて頂きました。


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真っ青な空の夢を見た。
起きたとき、私は泣いていた。





もっと深くにおいで、ここでは呼吸ができるよ





私が生まれたときには既に、世界の各都市はシールドを張り巡らせ、人工の太陽と月が天空にあった。
だから私にとっては、それが太陽と月であり、朝と夜であった。

第七都市ヴァレンティアでは本物の太陽が数時間だけ拝めるという。
その太陽の光を写真に収め続ける写真家がいて、私は本屋で彼(或いは彼女、名前から判断が付かなかった)の本を見たことがある。

今朝の夢から目が覚めて、頬をぬらす涙を指で触ったとき、写真集を見たときのことを思い出した。
あのときも私はやはり泣いたのだ。

憧れ?
そうではない。
感動?
そうではない。

この気持ちに名前をつけることは出来ない。
ただ、私の中の「何か」が、その光を知っていて――私はその「何か」に揺さぶられて、涙を流したのだ。
私の中の、知らない私。
その知らない私は恐らく――本当の光を、空を知っているのだ。





珈琲とクロワッサンを紙袋に入れてもらい、朝早く、街を歩く。
仕事はいつも夕暮れ時からだから、身体は眠っていたいと訴えていたけれど、無視して歩き続ける。
目の前に現れた高いビルを見上げ、意を決して中に入り込む。延々と続くかと思われる階段を上がり(時折嫌になって、独り言を呟いたりもした)、ようやく最上階にたどり着くと、垂れ下がる生い茂った緑が私を出迎える。

その奥に小さな家――仮設住宅のように、簡素なもの。
地上と切り離された静かな空間は、それでも微かに風が揺らす葉擦れの音と鳥の鳴き声、昨晩の小雨を溜めた水滴が落ちる音が、そこここに満ちていた。
無造作に置かれたベンチまで歩き、灯りのついていない家をちらりと見て、まだそこで眠っているだろう人を思い浮かべながら座った。
珈琲とクロワッサンを取り出し、木々の作る、まだ薄い影を足元に鏤めながら、朝食を食べる。
バターが指先を光らせ、私はそれを光の中にそっと滑り込ませる。
手のひらの影が打ちっぱなしのコンクリートに少しだけ濃い影を落とした。

(不思議……影でも、これは美しい)

あの得体の知れない、おぞましくも哀しい「影」とは違う。
パン屑に気づいた小鳥がチチチと鳴きながら、傍によってくる。人を怖がらない――それは人をあまり知らないからか、或いは、この屋上の住人が彼らにとって無害のどちらかだろう。

「恐らく後者だわ」

笑って、私は珈琲を飲んだ。
見上げると葉の隙間から朝日がちらちらと顔を出し、形を変える。
もっと覗き込めば、薄青の空が見えるだろう。私が生まれたときに既にあった、「空」が。

「失われたわけではないのに。今でもそこに、あるはずなのに」

呟いた私は少しだけ恥ずかしくなる。
この屋上に生い茂る植物たちが言葉を喋るなら、そんな馬鹿なことを考えるのはよしなさいと、言いそうな気がしたからだ。

空にあるものが、本物だろうとまがい物だろうと。
今目の前にあり生きている彼らたちの健やかな様子を見よ!

暫く私は黙り込み、有機と無機がごちゃ混ぜになった――それでいて何故か懐かしさすら感じる――庭園を眺めた。
夢を見てざわついていた心が少しずつ少しずつ平らかになっていく。
その間に、時は平等に針を進め、辺りは光に満ち溢れだし、ビルの下から人が活動し始めた音が聞こえ出す。
手の中の珈琲が冷たくなったことに気づいたときには、パン屑が跡形も無くなったアスファルトに、私と、上に生い茂る木の影しかなかった。

小鳥はどこへ飛んで行っただろう?
その空の青さは人の手によって生み出されたものとも知らず。

けれど間違えてはいけないのは、小鳥はそんなことなど気にせずに、風の中を、降り注ぐ光の合間を縫うように、飛び回っているということ。
ここの植物たちは、土と水と光によって、緑色の葉を茂らせているということ。

そして――私は――?

「……よし」

苦味だけが残された珈琲を一口で飲み干すと、ベンチから立ち上がり、木陰から飛び出した。
私が生まれたときから降り注ぐ光の中へ、足を踏み出す。

そして、今日も生きる。











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気がつくと言葉の向こう側にいる。
頭が文章を忘れしまっても、手触りや匂い、痛みや恐れを、そして光を胸が持ち帰って
いつまでも、覚えている。






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