Treasure
月白さんに書いて頂きました。


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スプリング・エフェメラル




 自分のつま先を探していたら、煙草の香りがしたのだという。
 彼がそうこぼしてくれたのは、おそらく、何もかもが終わった後だった。

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 雑多な建物と人々が交錯し、ある種おだやかで退屈な秩序が街を支配する。エルシリアは花櫚の砂糖漬けを買って、通りから通りまで歩いた。ざわめきが鼓膜をくすぐるほど奥まった場所へと訪れて、エルシリアはようやく息を吐いた。
 見上げれば細切れの光ばかりが申し訳程度にあり、良質の墨のような空気がなまぬるくよどんでいる。面をした子供らが脇をすり抜けていく。きゃらきゃらとした笑い声があたりに反響する。密度はいや増し、エルシリアはようやく目的の場所へといついた。
「妙な頃合いを選んだものよ」
 すっと背骨の通った声がする。エルシリアはできるかぎりそっとこたえた。しゃらり、と耳たぶの翡翠の玉飾りが揺れる。
「呼ばれた気がしたんです」
 ヤン――第四都市の影課に所属し、クーロンに隠然たる力を及ぼす風水師は、眼を細めた。その細くしなやかな指が持つ扇がぱちり、と軽妙な音を鳴らす。
「だから特に、情報を持ってきたというわけではないんですけれど」
 エルシリアがこの第四都市で影課に協力するようになってから、自分でも長い月日が流れたと感じる。雪国のあの故郷から、ずいぶんととおくまで来たものだ。
 この世には不思議なことなどいくらでもあって、数えればきりがない。
 エルシリアはゆっくりと瞬きをする。記憶の残り香をそっと指でなぞる。エルシリアはさかしい子供だった。
 ……うれしかったのだ。街はシールドで守られ、半ば都市伝説的な影に脅かされるようになり、こどもは少なくなった。幼心に彼の物言いは酷薄なナイフのように刺さったけれど、妙な連帯感というものを勝手に感じていた。唇をゆがめる。出会った当初には彼の方が年を増して見えたというのに、今ではエルシリアの方がよっぽど大人だ。
「懐古趣味かえ。贅沢なことだ」
 大儀そうな一言。飾り気のない言葉。
「贅沢してなきゃやってられません。遊びがなくちゃ、どうにも気が急いてしょうがないんです」
「戻るのか」
 ひたり、呼吸が止まった。
 喉元を抑えられたような感覚、水面に波紋が広がる。うれしくてかなしい。
「はい、もう」
 不思議なことなど、吐いて捨てるほどにある。そして特異なことばかりが名を与えられる。切断する息苦しさと寂しさに耐え切れなかった、その感情ですらいまや遠い。
 それほどの時を経た。不可思議ななにかに、名を与えず棄却する、そんなところが好ましくて、エルシリアは気づけばひと所で二桁の年月を過ごしていた。クーロンに来たばかりの頃、すべてが目新しくて危うく、すべてに警戒していた。
 天井のしみを見つめる。額の後ろで感情が渦巻く。そこから生まれる、抵抗せよというささやき、泥の上に咲く蓮の花のような意思。

 第二都市スラブグラードには魔女がいる。砂漠の魔女だ。炎をその身に宿す魔性は太古より連綿と続いている。
薄い白墨色の空の下、その日の朝はいつもよりずっと繊細で、淡く薄く凍りのはった目覚めである。エルシリアはその存在を突然円環の中にさしこまれたかのように、そこに存在していた。銀白色の気配のみちた中で、エルシリアは半ば呆然とたたずんだ。

 色素の薄い髪と肌の色。少女の喉が不思議な音を奏でた。
 ヤンはそれを見つめていた。
 気の遠くなるくらい昔から受け継がれてきた言葉。賛美と悲哀の言葉だ。音節はつながり、その言葉は突き詰めれば沈黙になる。
 かえる漣の音がないことを知っていて、エルシリアは言葉を紡いだ。
「呼ばぬのか」
 ヤンが言った。彼女にしてはしつこいくらいに口を開くことに、エルシリアは苦笑する。
「伝えぬまま、消えるつもりかえ」
「……言葉になるだいたいのこと、嫌いじゃないんです」
 でも。エルシリアの眦が美しい曲線を描く。
「わたしがすきなのは、それ以外のことなんです」
 かすれた声だった。低い温度を彷彿とさせる穏やかな声だった。エルシリアの指先から、つま先から、だんだんと透き通ってゆく。存在が希薄になってゆく。

 ――いちばんはじめは、孤独をごまかすための曖昧なまほろばだった。

 鋭い空気をともなう少年に、勝手に感情を与えたのだった。傲慢な苛立ちさえにじむ声も、幼いエルシリアには親しく感じられたのだった。エルシリアは底知れぬ奈落に手を伸ばす。疲弊しきった四肢は鉛のようだった。
 そのうち彼を拾う人が現れて、シンは、驚くほど明快になった。たおやかで、直線的で、男のひとをよく慕っていた。出会ったばかりの頃親しく夢想された光景を前にして、エルシリアは少しばかりかなしかった。
 あなたの傍にいたいとはいわない。ただ。
 辛い過去を思い返して、そこに少しでもわたしがいれたのならよかった。

 ぱっとはぜるような一瞬。

 東の魔女は、またぱちりと扇を鳴らし、そっとクーロンの闇へととけていった。
 翡翠の耳飾りだけが、床に落ちている。




- なにを失くすより奪うことがおそろしかった
  















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暗い路地の奥から聴こえた気がした音。あるいは、花の香り。
意識にひろがるうつくしく、ひそやかな波紋の、その正体を知る。
20161104






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